金策は嫌なことなのか?
以前の記事で何度か、ドラクエ10の世界での遊びとお金の関わりをテーマに考えたことがありました。
これらの記事などですね。
こういうテーマの記事では、私の意見はいつも、「もっと金策を楽しめるようにするべきだ」という考えを基本にしたものになっていました。
嫌なことだから金策になる?
ですが、金策が楽しいゲームであるべきという話をすると決まって投げかけられる疑問があります。
「楽しいことが金策になればそれに人が集中して稼げなくなる」
「みんながやりたくないことだから金策になるのだ」
というようなものです。
私はゲームの世界ではこれは必ずしも当てはまらない考え方だと思っています。
今回はこのことについてあらためて考えてみます。
ゲームと現実の違い
ドラクエ10のようなゲームでは、プレイヤー間のお金を使った取引があります。これは現実世界の経済に似ているのでそれをイメージして考えがちですが、似ているだけで全く違うものです。
決定的に違うのは、ゲーム世界は作り物であり、都合のいいようにいくらでもルールを自由にできるということです。
ゲーム世界の目的はプレイヤーを楽しませることにあります。
現実世界では嫌なことでも絶対にだれかがやらなくてはいけませんが、ゲーム世界は嫌なことは誰もやらなくていいように作れます。
人が集まりすぎて稼げないなら、それをより稼げるように調整することもできます。
「嫌なことをやって稼ぐ」必要などないようにすることが可能だということです。
もし金策が誰にとっても嫌なものにしかならないなら、そんなものは無くしてしまうということすらできます。
現にそういう感じのオンラインRPGもありますね。
なのにずっと金策はドラクエ10の中心として存在してきました。金策もゲームを楽しむための役に立つからです。
金策は何のためにあるのか
では、金策はどのようにしてプレイヤーの楽しみになるのか?と考えてみれば、それは遊びの選択でしょう。
例えば、今のドラクエで装備を得る過程を考えてみましょう。
キラキラやモンスターから素材を集め、結晶化で結晶を作り、強ボスからオーブを集め、生産職人で大成功を作り、これを目当ての錬金効果が付くまで繰り返す。という過程を経て、装備というものは完成します。
もしこの過程全てが全員がやりたい遊びであるなら、お金による取引はできなくても問題ありません。全部を全員が遊べばいいのです。
しかし、実際には職人は苦手とか、キラキラはつまらないとか、人によって好みは大きく違うわけです。
そこで金策というものが意味をもってきます。ゲーム内にある多数の遊びの成果を一旦ゴールドという共通の価値に変換することで、やりたい部分だけを選択して遊ぶということが可能になります。
つまり金策とは、「嫌なことをやる」ことではなく、「好きなことやる」ことだと言えます。
金策とは嫌なことである、という考え方はむしろ逆なんですね。
選択肢が重要
金策の意義は、やりたいことを選択できることでした。
ということは、金策がゲームを楽しいものにしてくれるためには、金策の選択肢が大事になってきます。もしプレイヤーのやりたいことが選択肢の中に無い場合、嫌々なにかを選択する必要に迫られるからです。
これが、今ドラクエ10で金策が嫌われがちになる最大の原因だと私は考えています。
プレイヤーが実際に遊びたいものと、金策の選択肢になっている遊びが一致しなくなっているということです。
これを解消するためには、金策の選択肢の幅を広げ、より多くの遊びから選ぶことができるようにすることが重要でしょう。
魔法の迷宮・コインボス・常闇/聖守護者・不思議の魔塔・ピラミッド・ルネッサンス・チームクエ・ナスガルド等々…ドラクエ10にはコンテンツが数多く追加されてきましたが、ほとんどは金策の選択肢にはなりません。それどころかお金を減らすマイナス金策というコンテンツもあります。(コインボスや常闇など)
こういう多くの遊びを金策の選択肢に加えていくべきだと思います。
防衛軍やゼルメアや白箱はお金の代わりに装備を得られるようになっていますが、これもあまり上手くいっているようには思えません。バザーに影響しないように一般的な実用装備を入手するのには向かないようにされてしまっているからです。